電子記録文書 森 芳樹

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zoom RSS 新濃尾大橋  信長・秀吉政権下の羽島市一帯は尾張国だった。

<<   作成日時 : 2018/07/01 10:30   >>

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新濃尾大橋  昭和43年度尾張西部 都市計画幹線道路
1580年代の信長・秀吉政権下の羽島市一帯は尾張国だった。

 国家事業である大垣・羽島〜一宮・稲沢を結ぶ都市計画道路の建設が昭和43年度に決定した。羽島市には新幹線羽島駅があり、有効活用すれば一大都市圏が形成できる。日本国で地域経済の発展が確認できる場所は新幹線の駅のあるところという結論がでている。当該都市計画道路建設決定の時期は名古屋市と岐阜市を結ぶ名妓バイパスとほぼ同じ時期である。都市計画幹線道路事業は50年以内に橋建設を含む道路工事が完了することになっている。ところが、当該都市計画工事は遅れに遅れ、期限延長となり、平成35年4月〜平成36年3月の間に完成させ、完成時はパレードも準備していると当局は計画を予定している。愛知県側管轄の工事は、愛知県一宮建設事務所が所管し、岐阜県側は岐阜県庁隣にある岐阜土木事務所が所管している。木曽川に架かる橋の名称は新濃尾大橋という。この橋の建設目的は濃尾大橋の渋滞を緩和し、木曽川によって遮断・分断された愛知県地域と岐阜県地域を結び地域経済の交流を活性化することにあり、新幹線羽島駅と名神高禄道路羽島インターの活用を求めて愛知県と岐阜県の要請により国家が決定した。インフラ整備資金は、国と県が半分づつの負担である。市町村は用地の買収に協力する任務が課せられている。
 新濃尾大橋の工事は愛知県側にあっては木曽川の真ん中まで杭打ちが進んでいる。杭はコンクリートを40メートルの深さまで流し込むことになっている。岐阜県側の杭打ちはまだ行われていない。橋の工事業者は愛知県側の杭打ち作業を行っている建設業者が施行することになっている。

 あまりにも新濃尾大橋の工事完成が遅くなっている原因はなんだろう。歴史をふりかえる必要がありそうだ。キリスト教を装う隠れユダヤ教徒=ハザール系ユダヤ教徒組織のイエズス会による陰謀の実施により生じたと推定する本能寺の変後の1584年代に発生した小牧長久手戦の影響が考えられる。

イエズス会はキリスト教徒を滅ぼす目的で1534年にユダヤ教徒(シオニスト・ハザール系ユダヤ教徒)によって創設された。
太陽崇拝のシンボルを掲げるイエズス会は、秘密結社イルミナティの中でもトップクラスの階層にある血族に操作されている。
 1584年に始まる小牧長久手戦は織田信長政権の後継者を巡る争いである。信長の弟織田信雄・徳川家康連合軍対織田信長後継者織田秀信の後見人豊臣秀吉を先頭とする旧信長配下の大名含む家臣団の争いである。この戦は全国的規模での展開であり、特に尾張西部全域が主戦場となった。一宮城主関家と軍組織は岐阜兼山城へ移動し一宮城は廃城となる。
一宮城主関氏は兼山城主森長可の妹と婚姻している。信長の小姓経験のある森長可の妻は池田恒興の娘である。森長可、関氏、池田恒興は、豊臣秀次を総大将として、徳川家康の拠点三河をめざし侵攻したが、長久手の地で総力戦となり戦死した。1582年4月海津城20万石城主に就任した森長可は、柴田勝家支援のため、越後国(新潟県)上杉責めの部隊を指導したときは、4万の大軍を指揮した。上杉との攻防戦の最中に本能寺の変が発生したため、森軍は急きょ深夜行軍で木曽義昌の嫡男を人質に取り、追ってを寄せ付けず全軍美濃兼山城に無事帰還した。
 奥城を武装占拠した10万余騎の羽柴秀吉に属する大部隊は、旧くな国首都候補筆頭の萩原城を拠点とした織田信雄軍と対峙したが、秀吉軍は、武装していた萩原城10万石を攻撃をせず、城兵2000人が立てこもる織田信雄軍の要衝で八町四方の規模である加賀野井城を6月12日総攻撃した。城は6月15日に落城した。1584年当時、現在の羽島市一帯は尾張国だった。尾張国主は織田信雄である。加賀野井城攻防戦は加賀野井城の軍兵2000名が全滅するほどの激しい戦いだったといわれる。この凄惨な城攻め以降の羽柴秀吉軍は、城攻めの方針を変更し、戦死者がでない戦略を採用したといわれる。加賀野井一族は、戦後豊臣秀吉の臣下となり8000石で存続した。加賀野井重望は関ヶ原の合戦前に西軍石田三成の密命を受け徳川家康暗殺を試みたが、水野忠重を斬首したところで、水野氏の部下により刺殺され、信長・信雄・秀吉に仕えた旧大名加賀野井氏は所領を没収され断絶する。八町四方あった加賀野井城跡は、1608年の治水工事で水没し、木曽川の川底に眠っている。信雄方に属し3万石の竹鼻城も間島村に陣をはった秀吉軍の水攻めで陥落し無血開城した。後に秀吉の軍門に下った城主不破源六は、豊臣臣下となる。豊臣政権下で萩原城10万石は豊臣秀吉の姉である智と長尾氏夫妻が城主となる。小牧長久手戦の大将を経験した豊臣秀次は、この夫妻の嫡子である。後に豊臣秀次は関白に就任し秀吉の後継者となる。ところが、真田家を主人公とするNHK大河ドラマの物語りのなかで明らかにされたが、秀次はイエズス会流キリスト教を信仰していたとされる。
豊臣政権あげて棄教を進めたであろうことは間違いないが、秀次は改宗せず運命が決まったのではないか。
地元に生まれた者として長い間、何故のつく疑問のひとつだった。豊臣秀次の後見人は前野氏だった。カトリック信者といわれた作家遠藤周作の小説を映画化した『沈黙』に登場する豊臣政権の幹部かつ大名で国府宮出身の寺澤氏はイエズス会流キリスト教を棄教した。
 
 レーニン、トロツキーらが指導したロシア革命は、革命前にイエズス会=秘密結社イルミナティ組織のエージェントである共産主義者がロシア全土にマルクス主義を普及させていた。過去に遡れば、ロシアも中国もイエズス会組織は危険視し布教を認めず国外追放した経験を有する。

 豊臣秀吉とその嫡子藤原系森高政の物語である武功夜話に加賀野井城・竹鼻城攻防戦について記述がある。武功夜話の祐筆は、佐伯城主森高政死去に伴い文筆活動を終える。毛利家が羽柴秀吉の軍門に下った後に、毛利家の人質となっていた森高政、重政兄弟は解放され、大分県佐伯城主に就任し大名となり幕末まで存続した。佐伯城主森家の子孫である千代子嬢は近衛文麿首相の妻となり子をもうける。1939年東亜同文書院講師、兼学生主事に就任。近衛文隆中尉は戦争中、満州に在満し終戦時、GRUのスメルシ部隊によって襲撃を受け、8月19日に捕虜となる。シベリアに抑留され強制収容所生活を送る。当時全ロシアの強制収容所は秘密警察長官兼ソ連軍元帥のベリアが管理していた。近衛中尉はシベリア強制収容所で死去し帰らぬ人となる。遺骨は後に妻正子が受け取る。1991年(平成3年)10月18日付「政治弾圧犠牲者の名誉回復に関する」ソ連法第2条、3条で無罪、名誉回復。1992年(平成4年)2月27日、ロシア連邦軍最高検察は、近衞文隆の名誉回復を採択、1997年(平成9年)10月16日、ロシア軍最高検察から名誉回復証明書を出した。

1608年、加賀野井氏の断絶により城は破壊され木曽川の川底になったといわれる。場所は新濃尾大橋付近である。不破源六の守備する竹鼻城も10万余騎で責め立てる秀吉軍の軍門に下った。小牧長久手の戦いは羽柴秀吉と織田信雄が和解し戦争は終わった。
 その後、日本国を統一した豊臣秀吉と官僚組織は、1549年のザビエル訪日以来続く、ローマカトリック教会所属のイエズス会組織との冷たい戦いに突入した。イエズス会の本質は軍組織であり、宣教師の中には将軍クラスの軍人も配属され、布教活動で対象国の国民を洗脳した後は、ポルトガルの植民地にする任務を有した組織である。日本国民は多神教であり、神・宗教には寛容である。ところが、イエズス会の布教活動するキリスト教は一神教である。1563年イエズス会宣教師に洗脳された日本人初のキリシタン大名大村純忠【洗礼名バルトロメオ】は、自分の領地である長崎港をイエズス会に寄進し、イエズス会組織やポルトガル商人から替わりに鉄砲・硝石・その他珍しい貴重品を受け取った。
また、イエズス会系キリシタン大名は日本人の男女を騙し、ポルトガル商人に売却した。朝鮮人の奴隷貿易商人は日本人を拉致したり、購入したりして奴隷として、アジア諸国に売却した。その数50万人といわれる。売却された男はインドのゴア等で奴隷として力仕事に従事した。色の白い日本女性は、高値で世界中に奴隷として売却された。また、イエズス会組織と宣教師は、九州にある日本の神社施設、仏教寺院を破壊しまくった。
薩摩の大名島津一族を軍門に下した日本国主豊臣秀吉とその官僚組織は、九州地方でその現実を目にした。
豊臣秀吉と官僚組織による注意を無視するイエズス会に対し、ついに豊臣政権はバテレン追放命令を発した。
そして、イエズス会流キリシタンを改宗しない者には、厳罰で対処した。また、日本人拉致を止めない朝鮮人貿易商人には拉致された日本人の奪還と制裁のため朝鮮半島を二度にわたり侵攻し占領した。バテレン追放は豊臣政権の政策を受け継いだ将軍徳川家康、3代将軍徳川家光が実施した。結果ポルトガル、スペインは日本侵略を断念した。しかし、明治維新前には、復讐を秘めたイエズス会組織はイスラム商人を装い日本国に数万人が侵入している。

キリシタン大名の一覧
•有馬晴信
•大友義鎮(宗麟)
•大村純忠
•黒田孝高
•小西行長
•高山右近
•内藤如安
•蒲生氏郷
•筒井定次

 イエズス会はキリスト教徒を滅ぼす目的で1534年にユダヤ教徒(シオニスト)によって創設された。
太陽崇拝のシンボルを掲げるイエズス会は、秘密結社イルミナティの中でもトップクラスの階層にある血族に操作されている。
 対抗宗教改革の一つの運動体。1534年、ローマ教皇への服従を誓い、プロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指す修道会。
 「イエズス会」というのは「イエス=キリストの伴侶」という意味である。日本では「耶蘇会」と言われる。1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ聖堂に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている。

社会思想は、流動的であり社会的条件が変われば変化する。個人思想もその人の境遇が変われば変化する。
社会思想は社会的境遇に根ざす。社会的境遇が変われば社会思想も変化する。
当時イエズス会流キリシタンだった人も多くが棄教したり、他の信仰を有するに至ったことは明らかであり、いつまでもレッテル張りすることは事実に反した結果となり、人権侵害となる。思想はたえず変化するものであり、変化しないものはない。問題を有する組織は、いつの日かその醜い実態が暴露されるものである。

 2018年に入り、カトリック信徒であった遠藤周作の「沈黙」という小説を題材とした映画が創作され、世界中で上映が始まっている。内容は布教を通じて日本侵略を目的としたイエズス会組織と日本防衛に立ち上がった豊臣政権の戦いを描いたものである。日本国の映画館では放映されないことになっている。1534年創設されたイエズス会の裏の顔は秘密結社イルミナティである。在外邦人は注意を要する。

 前身が西トルコ帝国の軍隊組織でありトルコ系白人といわれるハザール系ユダヤ教徒の国家ハザール帝国は、オバディアが国主の時代に国民全員がユダヤ教徒に改宗した。首都イテイルには奴隷市場があり奴隷制度を有するハザール帝国はロシア人勢力との戦争に敗れ力をなくした。1243年にはジンギスカンの長男ジョチの嫡子であるバトゥハンが指導するモンゴル帝国により完全に亡国状態となり、ハザール国民はヨーロッパ、ロシアへ流民し、ヨーロッパ各地に国家内国家を構築し、金融業、葬祭業、貿易業で生計をたてた。ロシアへ流民し、シナゴーグを形成していたハザール帝国国王末裔のカガノビッチ、レーニン、トロツキー、スターリン、ベリヤらの勢力がロシア革命でロシア国を乗っ取りソ連邦を創設した。ソ連の権力を掌握したハザール系ユダヤ教徒共産主義者は、冤罪事件をでっち上げ、ロシア人、タタール人等を2000万人以上殺害した。ハザール系ユダヤ教徒勢力が権力を掌握していたソ連当時、政治局員フルシチョフ、ジェイコフ元帥らロシア人指導層は、1953年6月26日会議の場で秘密警察長官兼内務大臣ベリヤを逮捕し、刑務所へ秘密裏に連行し、ルデンコ検事総長による半年にわたる事情徴収後、軍事法廷で処刑判決を下し銃殺した。この後フルシチョフ首相によるスターリン批判が行われた。ベリヤの旧公舎跡はトルコ大使館である。ロシア人は忘れないという意味だろう。ソ連副首相カカノビッチも逮捕し公職から追放したが処刑せず、カカノビッチは98才まで年金生活を送る。カガノビッチは死の直前でも共産主義社会に未練を残し理想として語っていた。1953年6月27日以降はロシア人がソ連邦の権力を掌握した。同時に公職を追放されたソ連内のハザール系ユダヤ教徒兼共産主義者数百万人はイスラエル、アメリカ、プエルトリコ等へ逃亡した。なお、ジンギスカンの直接の子孫は元貴族を含め世界中で1600万人存在するといわれる。
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