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zoom RSS 1917 それは人類の運命を変えた革命コード【写真】

<<   作成日時 : 2017/04/08 15:30   >>

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1917年の革命という出来事は、明らかに一義的意味合いを持ったものではない。 ボリシェヴィキの権力掌握へのアプローチを例外なく肯定的に評価していたソ連時代とは違い、現代ロシアの歴史専門家らは、より客観的であろうと努めている。ロシア現代史博物館は、革命を現象として初めて総合的にとらえ直す一つの試みを行い、「革命コード1917」と題する展示会を組織した。スプートニク記者は、この展示会を取材し、博物館の学芸員達に話を聞いた。
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スプートニク日本

展示会を組織した人達は、1917年を、ロシアばかりでなく遠く国外でも、ロシア革命と呼ばれる一つのコード、符号として捉えている。展示会の題名も、そうした事から決められた。
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「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞、 暁は来ぬ」前提条件

展示会を訪れた人々は「インターナショナル」の喜びに満ちた歌声を耳にしながら、ロシアが偉大な変革の道に踏み込んだ時代へと入ってゆく。
まず展示では、革命が始まるまでの長い道のり、19世紀末からの流れについて語られる。ひどくすり切れた農民の毛皮長外套が置かれている。これは、1917年3月に博物館が開かれてすぐ、最初のコレクションとなったものの一つだ。収蔵されるまでは実際に使われていたもので、所有者は革命後、この外套を、農民の社会的状態がひどかった時の記念品として博物館に贈った。


農民の毛皮長外套
© Sputnik/ Anastasia Fedotova

農民の毛皮長外套

展示会ではカリカチュア(戯画)や風刺パンフレットに、個別の注意を払っている。ロシア兵が半分野生の黄色い人間と戦っている絵があるが、これは露日戦争当時のものだ。またロシア皇帝ニコライ2世とわざと陰険に描かれたドイツの軍服を着た将校の絵は、つまるところ1917年の2月革命をもたらした出来事を風刺的に表現したものである。その出来事とは、露日戦争、戦艦「ポチョムキン」の船員らの蜂起、1905年の革命、皇帝に対する不信、そして第一次世界大戦の勃発だ。


政治的な戯画
© Sputnik/ Anastasia Fedotova

政治的な戯画

「何人も我らを解放せず、神もまた皇帝も、そして英雄も
我々は、自分のこの手で解放を勝ち取るのだ」
2月

今回の展示のユニークさは、アーカイブに保管されていた本物の資料を初めて、幅広い人達の目に触れるようにしたことにある。そうしたものの中には、ニコライ2世の退位に関する法令、2月の出来事を伝える目撃者の手紙などがある。手紙の中では、当時のロシア国内の混乱や恐怖について述べられている。社会不安や無秩序の大波に見舞われる中、それまで大きな人気を持たなかったボリシェヴィキの党が、自己主張を始めている。


カール・マルクスの胸像
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© Sputnik/ Anastasia Fedotova

カール・マルクスの胸像

学芸員の一人、ニキータ・アニーキン氏は「我々は、党員が千人に満たず、そのリーダー達が国外あるいは流刑地にいた党が、いかにして急激に人々の支持を得、最終的には1917年10月に権力を得てゆくのかを説明しようと試みたのです」と語っている。

「過去の枷をはずし、奴隷達は蜂起するだろう
その後世界は、根本から変化する
今や何者でもなかった我々皆が主人となるのだ」
十月

1917年10月25日は、ロシアの歩みを大きく変えた出来事としてロシア史に永遠に残るだろう。帝政が瓦解してから7か月後、新しい革命がおこり、ボリシェヴィキの党が、その旗のもと権力の座に就く。この出来事は、これまでと比べ、はるかに大きな流血の惨事となった。プチロフ重機械工場での労働者蜂起に始まり、暴動の嵐は全ロシアに広まった。今回、この工場の作業台が展示されている。しかし、サンクトペテルブルクで人々が、比較的平和裏に権力の新たな移行を受け入れたのに対し、モスクワでは、熾烈な戦いが始まった。10月革命をテーマにしたホールの展示物は、多くの人々を悲惨な死に至らしめた恐ろしい出来事として、革命を語っている。これもまた、より客観的視点から、容易でないロシアの歴史を再考しようとの試みである。

アニーキン学芸員は「1970年代に、モスクワ中心部のニキーツキエ門近くの古い建物を取り壊した時、労働者達が、木製の梁の一つに食い込んだ革命時代の弾丸を見つけました」とエピソードを語っている。またシベリアのイルクーツクでは、弾丸の痕がある家の柵の隣で、不発弾が見つかっている。

同じ展示ホールにはまた、レーニンの胸像も置かれている。ソ連時代ずっと、この像は博物館の保管室にあった。なぜなら、この像は、1924年に決められたレーニン像の基準に合致していなかったからである。ここでは、あたかも革命のスローガンを叫び出しそうなレーニンの顔を見ながら、見学者達は、ソヴィエト権力とは何なのかについての彼の演説を聞くことになる。



作業台



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レーニンの胸像



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国内戦時代のボリシェヴィキの上着



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機関銃



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政治的な戯画



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© Sputnik/ Anastasia Fedotova

作業台

今回の展示会のユニークさは、オーディオビジュアルエフェクトが多用されている事にも見られる。革命の目撃者や参加者が、その思い出を語る本物の肉声が紹介されている。

アニーキン学芸員は「私達の博物館には、録音フォンドがあり、そこには1960年代から70年代に録音された、分かり切っていることですが、ボリシェヴィキの側からの革命の証人達の思い出が保管されています。彼らは10月の出来事だけでなく、2月の出来事についても語っています」と説明した。このような形で、ここでは、普通の人々の運命を通じても、ロシア全体の歴史が語られている。

「国家も法も十分だ 平等の遺訓を聞け
平等なるものに法律などない 今や我々にある法はそれのみだ」
国内戦

年代順に並べられてきた展示の最後は、内戦が始まる前の1918年で締めくくられる。

最後の展示ホールでは、宗教への迫害や寺院及び教会の取り壊し、聖職者の銃殺など、図式を使って簡単に革命の結果が示されている。


聖職者の物
© Sputnik/ Anastasia Fedotova

聖職者の物


アニーキン学芸員は「我々は、故意に、国内線について語りませんでした。なぜなら、私達の見るところ、そのためには博物館全体が必要で、700メートルほどの展示空間では不十分だと考えたからです」と述べている。

しかしそれでも、展示品の数々は、見学者達に、当時内戦開始が、避けられないものであったことを物語っている。

このホールの珍しい展示品の中には、皇帝一家銃殺に加わった赤軍兵士の一人が所持していたピストルも含まれている。


皇帝一家が射殺されたピストル
© Sputnik/ Anastasia Fedotova
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皇帝一家が射殺されたピストル

年代順の展示は、重く血塗られた出来事の話で幕となるが、主催者達はそれでも、革命がもたらした明るい側面、革命とともに花開いたロシア・アヴァンギャルドについても特別場所を割き紹介している。

一つのホール全体が、ソヴィエトの宣伝芸術に捧げられている。これは、まさに1917年の革命から生まれたユニークな現象だ。当時活躍した天才達、詩人のマヤコフスキイやイラスト画家のビリビンなどが作った宣伝用プラカード、さらにはソ連時代の宣伝陶磁器が展示されている。ナターリヤ・カルリュチェンコ主任学芸員によれば、「こうした宣伝陶磁器芸術が登場したのは、工場の経済的困窮が原因だった」ということだ。帝政時代のニコラエフスキイ陶磁器工場は、高い品質を誇る食器を生産していたが、ボリシェヴィキが政権の座について以降、注文が亡くなり、生き残りのために方針を変えざるを得なかった。結局この転換は吉と出て、ソ連時代、労働者やコルホーズ員などを題材とした陶磁器は、国内のみならず国外でも大変な人気を得るほどの成功をもたらした。しかしソ連邦の崩壊と共に、この他に例を見ない「労働者農民の芸術」は凋落してしまった。

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