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zoom RSS 1549年にはじまるローマカトリック所属イエズス会=イルミナティと日本国の歴史的経緯 改版3

<<   作成日時 : 2016/10/31 01:28   >>

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1549年にはじまるバチカン国ローマカトリック協会所属イエズス会=イルミナティと日本国の歴史的経緯
改版3

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ローマカトリック所属イエズス会の一神教思想、ハザール系ユダヤ教徒マルクス創設の共産党の一党独裁思想、カルト宗教団体による一神教思想の根幹組織は同一と推定する。一神教とは他の宗教を一切認めない思想である。ハザール系ユダヤ教徒組織が運営する共産党も一党独裁が党の決まり事で、彼らが権力を掌握すると他党の存在は一切認めない党運営となる。したがって、入信、入党は簡単だが、一神教宗教団体、共産党を離党、脱党、脱退、退会する又は除名されると裏切者、スパイとして迫害、ストーカーが待っており死ぬか廃人になるまで続くのである。彼らは何故そのような行為をするのかといえば、一神教組織及び一党独裁政党は、表の顔と裏の顔があり、裏の顔が公開されることを恐れるからである。裏の顔は反社会的な顔と推定する。

キリストを磔の刑にして殺害したのはローマ帝国である。キリストは本当に汝の敵を愛せよと言ったのか
 
 一神教のイエズス会はカトリック教会の 男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設 され、世界各地への宣教に務め、1549年日本に侵攻した。当時の日本は足利政権の室町幕府だったが、応仁の乱により足利政権は内部分裂し戦国時代へ突入した。室町幕府は政権担当能力を失っていた。やがて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が登場し、日本国を統一した。そして、戦国乱世は収束した。
日本国王となった豊臣秀吉は、鎌倉へ行き、名古屋熱田出身で鎌倉幕府創業者の源頼朝の像と対面している。そして、家臣団に旧鎌倉幕府建物の修復工事を命じている。旧鎌倉幕府建物の修復工事は江戸時代も続いた。鎌倉幕府は卑怯を戒めるため問注所を創設した。今日の裁判所のことであるが、世界で最初に裁判所を創設したのは鎌倉幕府である。

 イエズス会は1534年8月 15日, イグナチウス・デ・ロヨラが6人の同志とともにパリのモンマルトルの丘に集まり誓約を 立て,1540年に教皇の認可を受けて創立した司祭修道会である。
 イエズス会組織はローマの軍隊といわれ、現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大規模のものである。
イエズス会の指導者は終身制で総長とよばれる。会の総本部はローマにある。
イエズス会が創立されたのは対抗改革【カトリック教会の組織を建て直してプロテスタントの教勢拡大を食い止めようとした運動】)の始まる直前である。イエズス会組織はキリスト教プロテスタント組織に対抗して創設された。

 1580年に大村純忠が長崎の統治権をイエズス会組織に売り渡した。長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす利益を独占しようとしたのは大村純忠である。
戦乱の影響を受けずに安心して使える港を探していたイエズス会の両者の利害の一致によるものであった。
大村を名乗る有名人には、幕末維新時の医師で長州藩士の大村益次郎がいる。大村益次郎は、戊辰戦争等で江戸幕府との戦争で戦死した者を東京招魂社に神として合祀した。奇兵隊及び日本陸軍の創始者である大村益次郎(1824〜1869年)が明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策した。明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀した。その後1879年に、軍直轄だった東京招魂社は、「靖国神社」に改名した。
大村益次郎は、山口県吉敷郡【現在は山口市】で生まれた。吉敷郡は関ヶ原の合戦後、毛利元就の9男毛利秀包【吉敷毛利家】の嫡男の領地となったところである。18才の毛利秀包は、豊臣政権下で、豊臣秀吉の家臣となり、秀吉の九州平定時は、島津藩攻めの先陣役を務めた。関ヶ原の合戦時は西軍所属で大津城を落城させた。しかし秀秋の内応や吉川広家・毛利秀元の日和見行為により西軍が敗れたため、大津城を撤退して大坂城に帰還する。1591年大友宗麟の娘と婚姻した関係で受洗し、久留米城13万石でキリシタン大名となる。城下に天主堂を建て、キリシタン信者7000人がいた。1594年小早川隆景の養子に小早川秀秋がなったため廃嫡された。そして、別家を立ち上げたが35才で病没した。秀包の嫡男毛利元鎮が吉敷毛利家の始祖となる。
2016年の愛知県知事は大村氏である。

関ヶ原の戦いは、ローマカトリック教会所属イエズス会の陰謀で日本国を内戦状態にし、両軍に武器を売りつけ
内戦で国力を奪い、日本国を乗っ取る計算だったのではないか。西軍にはキリシタン大名が多い。関ヶ原の戦いが1日で終わりイエズス会の陰謀は露と消えた。戦国時代の武士と家族はいつ戦死するかもしれない環境での社会生活だった。死後の世界のことがたえず念頭にあったことは当然であろう。

1637年12月11日、九州島原天草で内戦勃発する。この内戦の本質は宗教戦争である。当時宗教と政治は密接不可分の関係にあり、政教一致であった。ローマカトリック所属イエズス会の修道士により洗脳された日本人3万7千人が原城に立てこもり、16才の天草四郎時貞【益田四郎時貞】を大将として決起した宗教戦争である。天草四郎は、ローマのイエズス会本部に支援要請した。しかし、ローマカトリック協会イエズス会本部の支援無かったばかりか、プロテスタント組織所有のオランダの艦船から艦砲射撃攻撃が原城にあり、籠城兵は苦境に陥った。そこへ日本国王徳川家光指導下の江戸幕府軍12万5千人、司令官松平信綱の総攻撃があり、原城は陥落し、天守閣にいた天草四郎は鉄砲で撃たれ戦死した。美少年天草四郎は側近の美代に抱かれて死んだ。
 島原はキリシタン大名有馬晴信の領地であったが1614年有馬氏が転封し、松倉重政が新しい領主となっていた。天草はキリシタン大名小西行長の領地であったが関ヶ原の合戦後は寺沢広高が新領主となる。松倉、寺沢両氏とも江戸幕府の指示で、帝国主義スペイン、ポルトガル軍とその尖兵イエズス会修道士らに洗脳された日本人信徒への改宗に力を注いだ。

当時は、イエズス会修道士により洗脳されたキリシタン大名やキリシタン(信者)によって寺社が焼き払われたり僧侶が迫害されたり、逆に仏教を厚く信仰する大名の元ではキリシタンが迫害されたりする事件が相次いでいた。さらにポルトガル商人によって日本人が奴隷として海外に売られている事例が発覚し、ここに至って豊臣秀吉はイエズス会追放令を発布した。
 1596年10月のサン=フェリペ号事件をきっかけに、秀吉は12月8日に再び禁教令を公布した。また、イエズス会の後に来日したフランシスコ会の活発な宣教活動が禁教令に対して挑発的であると考え、京都奉行の石田三成に命じて、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じた。

24名は、京都・堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しとなった。1597年1月10日、長崎で処刑せよという命令を受けて一行は大坂を出発、歩いて長崎へ向かうことになった。また、道中で二名が捕縛され、処刑対象者はイエズス会関係者4名を含む26名となる。26人のうち、日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であり、すべて男性であった。氏名は大阪のコスメ竹屋、トマス小崎、ミカエル小崎、パウロ三木、パウロ鈴木、レオ烏丸、ペトロ助四郎などである。イエズス会キリシタンの永井緑、永井隆も有名である。

1945年8月9日午前11時に、長崎へ原子爆弾が投下された。この原爆投下は、イエズス会の指令による日本に対する復讐といわれる。アメリカ大統領でハザール系ユダヤ教徒のルーズベルト、トルーマンはイエズス会と秘密結社イルミナティ組織に指導されていた。クリントン元アメリカ大統領もイエズス会組織の命令で日本経済を破壊した。ヒラリーアメリカ大統領候補はクリントン元大統領の配偶者である。

 捏造思想を武器とした狂信者イエズス会組織による日本人に対する復讐は、個別テロ形式で今日も現実に続いている。復讐の対象者は、秀吉、家康、家光時代にローマカトリック協会所属のイエズス会等を取り締まった勢力の子孫である。織田信長は、南蛮貿易でえられる物と一向宗問題と世界情勢把握のためイエズス会組織とかかわりを持った。当時は政教一致であり、政治と宗教は分離していなかった。一向宗徒には武装集団もあった。一向宗とは今日の浄土真宗のことである。浄土とは天国のことである。人であれば誰でも天国へ行きたい。浄土真宗は念仏を唱えれば誰でも天国へ行けると説いた。これを他力本願という。本来の仏教の教えは自力本願であり、努力していい行いをしないと天国へは行けないとした。悪いことをした人は地獄へ落ちると説いた。
2016年10月24日、雨降りの日に青山四郎君の住んでいた藁葺きの建物は取り壊しが始まった。

日本国内に侵入した一神教のイエズス会組織は、九州において仏教寺院、神社を破壊し続ける蛮行を実施した。島津藩平定後、九州全域を豊臣政権に統一した後、キリシタン大名及びイエズス会信徒の多い地域で神社、寺院の破壊が行われた事実を確認した豊臣秀吉はイエズス会指導者に質問している。「何故、日本古来の神社、仏閣を破壊するのかと」聞いた。ここで、修道士はイエズス会が一神教である旨当然であると返答した。

 スペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩と判断した日本国王豊臣秀吉は1587年に長崎のイエズス会支配地をイエズス会組織から没収し、豊臣政権直轄領とした。

アルゼンチンの最初の住民は、紀元前11,000年にベーリング海峡を渡ってアジアからやって来た人々である。彼らは現在パタゴニアに残る「手の洞窟」を描いた人々である。原住民はスペインにより、ほぼ皆殺しにされたといわれる。現在原住民インディヘナの総人口は420,000人である。エルネスト・チェ・ゲバラはアルゼンチン特有のスペイン語を使用していた。2016年の今日266代ローマカトリック教皇フランシスコはアルゼンチン出身である。フランシスコ教皇はイエズス教会総長でもある。

ブラジルの最初の住民は、紀元前11,000年にベーリング海峡を渡ってアジアからやって来た人々(狩人)である。
今日のブラジル人は、すべて原住民とポルトガル人の混血である。原住民の虐殺はない。

豊臣秀吉の姉夫婦【萩原城10万石、長尾氏】の嫡子関白豊臣秀次は高野山で切腹したが、その理由は、NHK大河ドラマ真田丸で明確になった。関白豊臣秀次が日本国乗っ取りを目的に侵入した一神教イエズス会の宣教によりキリシタン信者に転落していたためである。関白豊臣秀次失脚に伴い、萩原城は廃城となる。江南市出身前野家の前野将右衛門【本名坪内光景】は豊臣秀次付の家老となった後、1595年に秀次が謀反の罪により秀吉に自害させられると、将右衛門も秀次を弁護したことから連座として罪に問われて中村一氏に身柄を預けられ、自害を命じられた。享年68。前野家の武功夜話にイエズス会との関わりについて記述があるだろうか。
1637年の島原天草の乱の時には、オランダのプロテスタントのキリスト教牧師が来日し、日本国王と関わりをもったことにより、キリスト教にも宗派のあることがわかり選別できたが、豊臣秀次の関白時代には、キリスト教はローマカトリック教会所属イエズス会のみの来日であり、キリスト教各宗派の存在は理解できていなかったというハンデはあったが、関白なら陰謀を見抜く能力が必要だった。秀吉が死去した場合は関白秀次が、秀吉の後継者だったわけで、イエズス会流キリスト教を信仰する豊臣秀次が日本国王となっていたことになり、キリシタン大名は著しく増加し、仏教界との宗教戦争はただならぬ事態に至ったことが予想される。秀吉と淀殿に秀頼が生まれたので、秀吉の後継者関白豊臣秀次が不要になったとの宣伝は、イエズス会組織の陰謀だろう。イエズス会組織はここでもステレス性を発揮した。ここが織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と豊臣秀次の違いか。国家のトップが偏ると政治に不安定性が生じる。信長・秀吉・家康本人はイエズス会流キリシタンには誘いがあっても拒否した。目的が達成できずおもしろくないので、イエズス会は信長を陰謀を張り巡らして暗殺した可能性が高い。イエズス会組織は、犯行を隠蔽するため、関係ない人を犯人に仕立て上げることも実施した。さらに、秀吉も毒殺の可能性がある。家康もテンプラ食べてから体調崩し死亡したわけだから毒殺の可能性がある。イエズス会は敵を殺したり、目的達成の手段として毒殺と夜討ちを武器としていた。この時代キリシタン信徒は20万〜30万人存在したといわれる。

今日のプロテスタント組織からみれば、イエズス会信徒は狂信者となる。
 1597年豊臣秀吉はイエズス会に対し禁教令を交付し、国外退去を命じた。しかし、南蛮貿易は禁止しなかった。明治以降今日に至るも日本国を支配している勢力はバチカン国のローマカトリック教会所属のイエズス会である。ゆえに、イエズス会を日本国から追放し、禁教令を公布した織豊政権、日本国王豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光を映画などで悪く表現し日本人を洗脳している。
 1960年代、1970年代の日本を含む世界の学生運動に暴力主義・過激主義の指令をだしたのはローマカトリック教会及びイエズス会組織といわれる。イエズス会は表の顔で裏の顔は秘密結社イルミナティである。イエズス会とイルミナティの関係は一枚のコインの表と裏の関係である。

 ロシア軍最高司令官プーチン大統領は、2016年新年に悪魔教が運営する秘密結社イルミナティ組織を壊滅すると断言している。
 
 オランダのプロテスタント牧師は聖書及びキリストの言葉のみをキリスト教の教えとして布教し、イエズス会流キリスト教の宣教を反キリストの教えであるとし、生死をかけた戦いを今日もつづけている。
 プロテスタントは踏み絵も躊躇なく実行し、島原の乱の際は、オランダの艦船から4万人近いイエズス会信徒組織の立てこもる原城に向けて艦砲射撃をしている。キリスト教プロテスタントの宣教は、キリストは神の子であり、マリヤの子ではない。したがって、マリヤ信仰はしない、偶像崇拝もしない立場である。キリスト教プロテスタン組織は聖書及びキリストの言葉のみをキリスト教とし、キリストの側近であった使徒ペトロを教祖としている一神教のカトリック教会及びイエズス会の宣教をキリスト教の教えとは認めず反キリスト団体と指定している。

 最終的に徳川家康、徳川家光指導の江戸幕府は、日本乗っ取りを目的に来日した工作機関イエズス会宣教師に国外退去を命じ、カトリック所属イエズス会による一神教「キリスト教」を禁教にした。宣教師と協力者たちは処刑・追放となる。江戸幕府は、イエズス会信徒の監視を仏教組織に委託した。仏教寺院が江戸幕府から財政支援を受け、住民管理をした。寺の僧侶は夜に紛れて忍者となり、管轄地域の治安の維持をした。
 その後ローマカトリックの修道会のイエズス会組織は明治維新後、再び日本国に飛来侵入し、以後日本国を支配続けている。イエズス会=イルミナティ組織に完全支配された日本国は、同じくイエズス会組織の命令で動くハザール系ユダヤ教徒ルーズベルト米国大統領の陰謀・挑発でハワイ真珠湾攻撃を秘密裏に実施し、事情を知らない一般のアメリカ国民を激怒させ、日米戦争へ引きづり込まれた。その結果数千万人が死んだ。イエズス会組織とハザール系ユダヤ教徒勢力は、陰謀により日米戦争を実現させ、日本国民とアメリカ国民を疲弊させ、両国の政治権力を完全乗っ取りし、今日に至る。

 イエズス会は近代において、プロテスタント側のみならずカトリック側の人間からも、さまざまな陰謀の首謀者と目されることが多い。「イエズス会員」を表す言葉(たとえば英語のJesuit)が、しばしば「陰謀好きな人、ずる賢い人」という意味でも用いられる。

 カトリック教会は、キリスト教の組織です。イエス・キリストの直接の使徒ペトロを初代ロ-マ教皇として、続いている教会組織である。

イエズス会は、カトリック教会の中の修道会の1つである。

イエズス会は、キリスト教(カトリック)が、浸透していない地域に行って、キリスト教(カトリック)を広める活動をする為に設立された修道会です。

 バチカン国の第266代ローマ教皇フランシスコは史上初のイエズス会出身のローマ教皇である。

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